筆耕をはじめてから10年たった今
ずいぶんと空いてしまいましたが、何もしていなかったわけではありませんよ。
お元気ですか?
友達がこのサイトも見ていた様子を会話の中でも感じていました。望みを持ちながらキーボードで優しく綴ってます。
最近お店であのお母さん見かけないけど元気かな?お父さんどうかな?と
こうして書くことも迷ったけれど、
疎遠になった友達、先輩、仕事仲間に向けても書いています。
「 お元気ですか? 」
仕事に関してはご依頼いただいた書きものに励んでいたりも通年やっていたし、書道の作品も定期的に書いては出品したりはしていました。
充実した時間を過ごしていました。
昨年の夏頃から父の介護と同時に肺がん、自分の胸のしこりは知らないふり。というより実家のお金の問題や役所、訪問看護やデイサービスの見学、手続きにも翻弄してました。
それでも仕事はいつも通りに行なっていました。その方が気分転換にもなると思っていました。というより書くことが好きなのは今も変わりません。
かわいい認知症の父
認知症になった父は肺がんも一緒に患いました。
診察中では本人には「肺がん」と言わないでと予め主治医へお手紙を書いて渡していました。いくら認知症でも理解することもあるかもしれないから、本人に聞かれたら寄り添った気持ちで伝えようと決めていました。
今はまだ聞かれていない。
肺の治療はしない。高齢と認知症も進んでいるということもあって、そんな状況ではできないよねと。先生と話しました。
時々ヒューヒューしてる時は母もそうだと思うけど、私もドキドキしています。
認知症の父は側から見れば自立できている風に見えるけど「全くもって可愛い認知症」かもしれない。そう思うようにしています。
というか大笑いするってこともあるから。
今まで出来ていたことが少しづつできなくなっていき、
同じ話を何度も繰り返す父の姿に心を痛めてしまう弱っちい自分。
症状のひとつでもある都合の良いように作り話をしてしまうことが許せなくて小言を言ってしまう母。
も〜 それ違うよ!!さっき言ったでしょ!
そんなふうに父に向かって言ってしまうかもしれない自分のセリフが
夫を心配する母の叱責によって打ち消されている現実。
これは母のおかげで父に優しくできているということ、母に「 いつもありがとう 」と言えていない。
母も脳卒中の後遺症で片手が不自由。幸いにも口は元気。
周りからは後悔がないように、、、と言われるが、それもわかる。どんなに頑張っても自分の場合は何かしら後悔するのもわかっているから
後悔が少なくなるように日頃から過ごしたいと思っている。
これも時間が経てば充実していたと言えるのだろうか?
そんなこんなで、仕事をしつつの介護をしていくことに気持ちも慣れてきた?頃に乳がんになってしまいました。
乳がん
この自分が乳がん。
あーー、そうね、やっぱりね。
現実を受けいられていないのか?かなり冷静に聞いていた感じ。
こんなこと言ったらいけないのかもしれないけれど
「 悪性 」「 乳がん 」と告げられて内心は
「 休める 」って思ったほどだった。
麻酔を使った検査では
ひとことで言えば「 活発な乳がん 」よく言えば「 元気な乳がん 」
転移や再発も心配。
乳がんにもサブタイプという種類が合って
HER2妖精、、いえ「 HER2陽性 」(ハーツーようせい)
ふざけてている時ではないが日頃の生活に笑いは入れたい。
幸いにも早期。
「 早期でしょ 」「 早期で良かったね 」と言ってはくれるけど、、、、
先に言ってしまえば、左胸全摘手術をして今は化学療法をしています。
いろいろ調べました。
これは本当か?これはどうか?
自分なりの理解で主治医と答え合わせする感じで検査通院。
病院の待ち時間って長くて不安かもしれないけど、これからの仕事をどう付き合っていくか考える時間も必要だったし、
ご依頼いただいたロゴの文字を想像している豊かな時間は幸いなことだった。
自分のことよりも父の癌の告知を母や兄に伝える時の方が本当に辛かったし心細かった。
術後の病理結果は
麻酔から覚めた時の辛さだったり、寝返りもままならずに数日はきつい入院生活でした。
そんなんですが、
活発な癌ではあるのに転移がなかったのはラッキーです!
つくづく自分は「 運が良い !」と思う。本当に。
取ったしこりは
- 2.0センチ × 1
- 0.8センチ × 1
- 0.9センチ × 1
術前は1.0センチがひとつだったから、聞いた時はびっくりしました。
主治医曰く、「ごっそり取りましたよ」と。
ギリギリのステージ1。
抗がん剤は必須で1年と3ヶ月の治療と主治医からは告げられています。でもね、活発ではない割にしたたかな種類の乳がんもあって、わかりにくく潜んでじわじわと顔を出す種類の乳がんは5年、10年もの時間をかけて付き合っていくのもあるのよ、と。それでも、定期的な検査は必要なのです。
わたしの化学療法
- EC療法(点滴)を3週間おきに4回
- ドセタキセル(点滴)も3週間おきに4回 ← 今ここ
- フェスゴ(皮下注射)3週間おきに18回
このブログを書いている時点では、もうすぐ点滴の投薬が終わる。
体調は?今どんな様子?
わたしの場合は抗がん剤を投与した日から予想通り気持ち悪くなっているし、薬も併用して使うものだったので、あらゆる副作用がで出ています。
- 吐き気
- 便秘や下痢
- 口内炎
- 皮膚障害、爪の変色
- 痺れやむくみ
副作用を軽くする処方はされているけれど、私の場合は短くても一週間は寝込むほど調子悪くて疲れやすいし、10年 歳を 重ねた感じ。動きものんびり。
頭の脱毛は自分でもびっくりするほど執着があったことに気付いて、乳がんと告げられてから全摘のことよりも
「 脱毛をどう乗り越えていくか? 」
もちろん心の準備はしてきたけれど、脱毛がゴッソリ指の間から見たときはショックというよりホラー並みに怖くて、
それが徐々に慣れていき、姿を見ていた家族の方が辛かったであろうと、、、思う。
しかしながら、ムダ毛だけはお得感。笑
知り合いからは「私はそれはやってたから生えてこないよ。(永久脱毛?)」そんな話をしているのではなくて、、、ね。想像力のなさにがっかりする言葉を聞いたり、
ただ話を遮らずに「うんうん」と寄り添って優しく聞いていてくれる人もいたし、
そんな人間模様も冷静に見れるようになったのも乳がんになって良かったのかもしれない。
今はどんな髪型が似合うのかなぁというウィッグ探し、憧れでもあったスカーフを小洒落に魅せるかと副作用のひとつである爪が黒くなる変色や割れをマネキュアでカバー。
あれこれいっていても、なんとかなっていて、
楽しんでいます!
あとは「 食にまつわること 」も愉しんでいます。
わたしは甘いものが好きで牛乳も大好きです。
乳製品もいろんなこといわれたりするのを見かけるけれど、ガッツリもどうなのかなぁと思うし、自分に合わせた食の取り方がベストだと思ってます。
自分の中の「 バランス 」
米粉 を使った「 おやつ 」や乳製品や卵を使わない「おやつ」を作っています。食材も足し算引き算しながらワクワクする感じを大切にしています。
普段の食事も例えばパスタをグルテンフリーにしてみたり少し高くついちゃうけど美味しくて楽しみなのが結構あるんです!
運良くいきてます
- みんなの優しさがしみじみと感じられたこと
- 時間がゆっくりになったことで丁寧な生活ができるようになったこと
- 活発な癌なのに転移がなかったこと
- 数年前だったら使えなかった新薬で予後が良いこと
- 助成金がなかった町だったのに6月から申請できること
- とりあえず高額医療があること
- 弱っていた母がしっかりしてきたこと
まだ書き切れないけれど、
人生100年といわれる時代に1年3ヶ月の治療で休むのは、ほんの一瞬なんだろうなぁと感じているし、もっと長い治療の人もいる。
また気づいたことがあったら書きます。
長くなちゃったけれど、最後まで読んでくれてありがとうございます!
ではではー